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雛人形の歴史

今日は3月3日ひな祭りの日です。
そこでひな祭りの歴史を調べて見なした。
「雛祭り」はいつ頃から始まったのか歴史的には判別できていないそうです。
これはびっくりですね。はっきりしていないとは!
起源は複数あるようです。一番有力なののが平安時代の京都で既に平安貴族の子女の雅びな。「遊びごと」として行われていたとする記録があるそうです。
平安時代に始まったということは1000年以上の歴史があるものなのですね。
その当時でも、やはり小さな御所風の御殿を飾ったものと考えられています。今で言うドールハウスのお城版ですね。はじめは人形遊びたったのは親しみを感じます。
このころから、川へ紙で作った人形を流す「流し雛」がすでにあり、雛人形は「災厄よけ」の「守り雛」として祀られる様になりました。
江戸時代になり女子の「人形遊び」と節物の「節句の儀式」と結びつき、全国に広まり、飾られるようになったそうです。
三月の節句の祓(はらい)に雛祭りを行うようになったのは天正年間(1573年)以降のことだと推測されています。
江戸時代初期には形代(ひとがた)の名残を残す立った形の「立雛」や、座った形の「坐り雛」が作られていましたが、これらは男女一対の内裏雛を飾るだけのものでした。
このころから、飾り物としての古の形式と、一生の災厄をこの人形に身代りさせるという祭礼的意味合いが強くなり、武家子女など身分の高い女性の嫁入り道具の家財のひとつに数えられるようになりました。そのため、自然と華美で贅沢なものになっていったそうです。
時代が進むと人形は精巧さを増し、十二単の装束を着せた「元禄雛」、大型の「享保雛」などが作られました。これらは金箔張りの屏風の前に内裏の人形を並べた立派なものでした。享保年間(1716年頃)からは、年々豪華になって行く贅沢品のため、人々の消費を当時の幕府によって規制されました。一時的に大型の雛人形が禁止さました。「雛は八寸(約24cm)以下、雛諸道具は蒔絵(漆工法のひとつ)は不可」という制限がありました。しかし、この規制を逆手に取り「芥子雛」と呼ばれる精巧を極めた小さな雛人形(わずか数センチの大きさ)が流行しました。
江戸時代後期には「有職雛」とよばれる宮中の雅びな装束を正確に再現したものが現れ、さらに今日の雛人形につながる「古今雛」が現れました。また、18世紀終わり近くより囃子人形(今の五人囃子)が現れ、幕末までには官女(君主や皇后の身の回りの世話をする女性の官職)・随身(ずいじん貴族の警護)・仕丁(煮炊きなどの用をする人)などの添え人形が考案された。雛飾りは嫁入り道具や台所の再現、内裏人形につき従う従者人形たちや小道具、御殿や壇飾りなど急速にセットが増え、スケールも大きくなっていったそうです。このころのひな人形が今の7段飾りになったそうです。
今も雛人形は豪華ですが、当時は庶民が手を出せない想像を超えるほどの高級品だったことはまちがいないようですね。

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